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スポーツ

2011年10月 2日 (日)

100キロウォークに参加して

ヒガンバナが咲き、朝夕の冷気に、金木犀の香りが漂い始めると、行橋~別府100キロウォークに望んだ昨年(2010年)の記憶が蘇ってくる。昨年は10月9日がスタートで、その1ヶ月前から練習を始めた。練習の過程、大会当日、その後を通して、得がたい体験をすることができた。体験というより、物事の見方が変わったといったほうが正確である。
たとえば、毎年放送される24時間テレビの24時間マラソンは、何ヶ月もかけて芸能人が練習し、大勢のスタッフのサポートで行われているため、とても過酷なイベントのような印象を持っていた。しかし100kmウォークは、制限時間が26時間で100kmの距離ということでは、24時間マラソンとほとんど同じで、3000人以上の一般人がそれぞれのやり方で参加している。ということは、24時間マラソンはそれほど過酷なものではなく、100km前後を24時間で「走る」(マラソン)としていることに、無理がある。
また細かいことでいえば、長い間、自分の足のサイズは、25cmのEEくらいだと思っていたが、シューズフィットのために計測すると、23.5cmでDサイズであることが分かった。成長期が終わってから、今までの約30年間、ずっと勘違いしていたことになる。
もっとも変わった点は、人間の歩行能力の高さに気づいたことである。1回目の長距離練習のコースは、16kmだったが、何とかゴールにたどり着けたものの、それ以上は1歩も歩きたくない、歩けない、という状態だった。それが、その後、1週間に1、2回、15~30kmの距離を歩き続けたら、1ヵ月後には100kmの距離を歩ける能力を獲得していたのである。
普段は車や列車を使って移動する距離を歩いてみて、人間は自力でかなりの距離を移動できるものだと感じた。もし車も持てず、公共交通機関を利用するお金もなくなったとしても、時間さえかければ何とかなると思えるようになった。事実、昔の人は歩いて九州から京や江戸に行っていたのである。

大会までの準備を中心とした、技術的なことがらは「行橋~別府100キロウォークへの1ヶ月」として別にまとめている。

大会当日は、とにかくつらかった(とくに別府湾が見えてからゴールまで)ことは憶えているが、1年も経つと、つらさの具体的中味は記憶から消えていく。久しぶりに味わった成功体験のみが心地よさとともに蘇る。
大会が終わり、休むまもなく、会社の駅伝大会の練習に入った。駅伝も終わり、普段の「とくに運動らしい運動をしない」生活になってから、しばらく気分の落ち込む時期が続いた。激しい身体の変化とともに脳内伝達物質の分泌にも変化があったと思う。